ダジャレ考察|現代批評的視点で読む『パンダのパンだ』

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現代批評的視点

ダジャレ考察|現代批評的視点で読む『パンダのパンだ』

※画像はイメージです

「かわいい」は通貨になる

「パンダのパンだ」というダジャレは、一見すると子ども向けの絵本に出てきそうな無邪気な語感だ。
しかしその背後には、現代の消費社会における「かわいい」の搾取構造が潜んでいる。

パンダという動物は、白黒の配色と丸みを帯びたフォルムで、世界的に「癒し」の象徴とされている。
そこに「パン」という、万人に愛される食べ物を掛け合わせることで、マーケティング的には“最強コンテンツ”が誕生する。

「パンダがパンを作った──
それは癒しではなく、企画書に載る数字だった。」

このダジャレが現実に商品化されたとしたら、
「かわいさ」はパッケージに印刷され、「癒し」は売上グラフに変換される。
SNSでは「#パンダのパンだ」がトレンド入りし、限定グッズが転売され、コラボカフェには行列ができる。

私たちはその「パンだ」を写真に撮り、RTして、食べて、そして忘れる。
そこには、消費される「かわいさ」と、消費する私たちの無自覚な共犯関係がある。

癒しの資本主義

「癒し」は本来、心を落ち着けるための感情的な体験であるはずだ。
しかし現代では、それすらも数値化され、売上やPVとして換算される。
「かわいい」は感情ではなく、通貨として流通するのだ。

「パンダのパンだ」は、そんな資本主義の構造を軽妙に暴いている。
ダジャレという形式が持つ“笑い”の力によって、私たちは一瞬だけその構造に気づく。
しかし気づいた瞬間に、また次の「かわいい」に飛びついてしまう。

この循環は、癒しを求める私たちの欲望と、癒しを売る側の戦略が見事に噛み合っているからこそ成立する。

ダジャレは批評になりうるか

「パンダのパンだ」は、ただの言葉遊びではない。
それは、現代の商業主義と“かわいい”の消費構造を皮肉る批評的な装置でもある。

笑って済ませるには、ちょっと味がしすぎている。
このダジャレが私たちに問いかけるのは、「癒しとは何か」「かわいさとは誰のためのものか」という根源的な問題なのだ。


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